昭和十三年四月に野戦病院として、「臨時東京第三陸軍病院」創設。
同時に当理容店も病院の中に開設いたしました。
突貫でバラック建物を建てたという短期間設営の陸軍直轄病院。
規模は大病院以上で、日本最大の陸軍病院でした。
陸軍病院の開院に合わせて小田急相模原駅も開業。
昭和天皇が、戦地からの傷病兵を見舞うために、行幸された唯一の陸軍病院。
昭和二十年十二月、戦後、臨時東京第三陸軍病院は、厚生省に移管され、
「国立相模原病院」として発足しました。
現在も国立相模原病院の敷地内には記念碑が残っています。
理容室の人たち他 病院内で撮影 昭和二十年十一月 (中央の黒い服装、母16歳)
後に国立相模原病院となった病院内は広大な敷地で防火用の池や野球場、プール、家畜も飼っており、収容患者数は6000名を超える大規模な病院でした。